これまでの授業では、グローバル化とは何かやグローバル益とは何かについて、大いに議論をしてきた。しかし、教員が問いかける対話型授業(ソクラティックメソッド)も、問いかけばかりでは雲をつかむような話だと思われた受講生もいるかもしれない。そこで、今日はわたしの一応の見解を述べたあとで受講生の意見を聞き、今までの授業を振り返ることとしたい。
上のスライド2の1はグローバルリーダーシップを問題中心に定義したものだ。
スライド2の2の意味はファーストリテイリングの柳井社長が使われていたものと同じだと記憶している。
これらの2つの定義を足すと、グローバルリーダーシップとは、「国や地域を問わないで、人々に共通する問題を解決するリーダーシップ」といえる。
好例が、釈尊である。ブッダは人間が逃れられない苦しみからの解脱を解いて、たくさんの人々が彼について行った。そのリーダーシップは2000年の時を超えて現在の人々にも大きな影響力をもっている。ブッダの教えがきちんと伝わっているかは別問題だが。
しかし現在の地球では、四苦八苦のような人間にとって不可避と考えられた問題に加えて、人間の活動がすべての人に深刻な問題を引き起こしている。例2と例3がそれだ。
スライド3は、例2として欧州の債務危機を示す。深刻化する危機に向けて欧州が財政規律を強化する条約に合意したのだが、英国は国益や議会の権限が侵害されることを理由として、合意に参加しなかった。英国はもともと共通通貨ユーロ圏にも属していない。
国益を守るためにという理由で共同行為に合意しなかったり、さらに合意の実施に協力しない国が出てくれば、欧州の債務危機はもっと悪化するかもしれない。
スライド4のように、欧州の危機は域外の国の危機にもつながるのである。米国のリーマンショックが2008年以降の国際金融危機を引き起こし、国際的な大不況につながったのと同じである。国益を守るだけではグローバルな課題を解決することはできない。
スライド5は、地球温暖化(グローバルウォーミングだからまさにグローバルといえる)問題に関するものだ。
地球温暖化に取り組むための国連気候変動枠組条約の第17回締約国会議(COP 17)で何が起こったのか。2020年以降に京都議定書に変わる新たな枠組みを作ることには合意できたが、温暖化ガスについての京都議定書による法的な削減義務は2012年末で終了してしまう。
日本やカナダは京都議定書の延長に合意しなかったので、その後は法的な削減義務は負わず、自主的な取り組みをすることになる。米国ははじめから京都議定書に参加していないので、いまだに自主規制のままだ。島嶼諸国は「国が沈む」と主張しているが、まだ大丈夫だろうと思っている国が多いので、真剣な対策がとられないのである。
もしかすると、上のスライド6のように大都市が水没してしまうかもしれない。しかし、このような危機が来ることは科学的に証明されたわけではない。もし信頼できるデータによって世界の人々が地球温暖化がもたらす危機について共通の認識を持つことができれば、国益を超えたグローバルな対策が合意できるはずだ。それでスライド6のようにならないのなら、国益にもかなう。
欧州債務危機や地球温暖化の問題について、各国のリーダー達はグローバルなリーダーシップを発揮できないでいる。国内に基盤を有するリーダー達は、これらの問題が人類に共通の深刻な問題かどうかを国民に説得的に示すことができないので、グローバルな課題を訴えても「有権者」はついてきてくれないのである。
スライド7は、この授業のテーマである「人はなぜこの人について行くのか」の要素をまとめたものである。リーダーシップの要素をハードパワーとソフトパワーに分けることは議論の整理に役立つ。ハードパワーは、物質的な御利益で人を動かす力である。
社長等の権力者はこの力を持っているから、人がついて行くのである。しかし、ハードパワーが行き過ぎると、拳銃を突きつけて人を思い通りに動かすのと変わらなくなる。故キムジョンイルなどはどうだったか。脅かしや脅迫によって人についてこさせるのは、この授業で考えているリーダーシップではない。
この授業でたくさんのゲストスピーカーから感じ取って欲しかったのは、ソフトパワーの要素である。権力が無くても、アメも鞭もなくても、なにがあればこの人について行きたいと思わせるのだろうか。好きだから、信用できるから、尊敬できるからという要素が大切である。
もちろん、1つの課題を追求する情熱や勇気や実行力も重要である。尊敬や信用という要素は、情熱や勇気の結果として獲得されるのである。
しかし、すごいソフトパワーをもった芸術家や大学の教員がグローバルなリーダシップを発揮できるわけではない。授業ではいわなかったが、○○○金と力は無かりけりではダメなのだ。グローバルなリーダシップのためには、ハードパワーも必要だ。授業でも意見があった”give and take”の関係、利害の交換を示す力が重要だ。つまり、グローバルなリーダシップのためには、ハードパワーとしての利害に基づいた交渉力が必要なのである。
ハードパワーを行使できる立場にいる(権限がある)ことと、それを実際に行使できるかどうかとはまた別である。さらに、ソフトパワーがないとハードパワーを効果的に行使することはできない。反対に、権限がない市民でも、交渉力というハードパワーとソフトパワーがあれば[1]、グローバルな課題に挑むことも可能となるのである。
[1] ジョセフナイは、ハードパワーとソフトパワーをミックスした力を「スマートパワー」と呼ぶ。Joseph S.
Nye ,The Powers to Lead (Oxford Univ
Pr ,2008) at x, xiii, 83.
わたしが感銘を受けたスピーチは、エリックコロンさんのものだ。コロンさんが黒板に書かれた最初の絵は、青い地球だった。それはアポロ17号の乗組員が撮影した「ブルーマーブル」と呼ばれるようになったイメージに違いない[2]。この写真によって、人類の多くが地球を球体(グローブ)として真に認識したのである。
エリックコロンさんがジャングルで出会い、助けられなかったという、飢えて死にかけている赤ん坊を抱いた母親。今の地球で起きている飢餓の問題は、自然災害というより人間の影響が大きい。われわれはグローバルなリーダシップを発揮できるのだろうか。
上のスライド8は、それより前のアポロ8号(月面着陸はいまだ成功しておらず、月の周回軌道にいた時代)によるもので、「地球の出」と呼ばれるシリーズの一枚だ。
もはやグローブ(球体)でなく「点」としての地球。はるか未来にはグローバルリーダーシップでは狭すぎるという時代がやってくるかもしれない。ユニバーサルリーダーシップ(宇宙的または普遍的リーダーシップ)、それを講義しているのは人類ではないかもしれない。
おしまい