2010年9月21日火曜日

交渉コンペ第1回リーダーズキャンプ

今日と昨日は秦野の上智大学セミナーハウスで、交渉コンペティション(以下では「交渉コンペ」)[1]の第1回リーダーズキャンプがあった。15大学(オーストラリアだけが不参加)から2人ずつの代表が参加して、124日と5日の本番に向けてより効果的な準備方法を各大学に持ち帰ってもらおうという趣旨である。参考資料は交渉コンペの公式ホームページに掲載する予定である。

昨日の第1日目は、静岡家裁の樋口正樹裁判官によるディベート実技。2つのチームが対戦し、他の2つのチームがジャッジとなる方式を、それぞれ肯定否定を入れ替えて2回実施した。事例問題の論点について討論するところがゲームディベートより仲裁や訴訟に近い。交渉コンペで採用している方法をより簡易にしたものである。この方法は交渉コンペの効果的な練習になるのはもちろん、法律学の授業でも使えそうだ。

2日目の今日は、交渉コンペの運営委員から仲裁、交渉のそれぞれのラウンドの審査基準の説明と過去問の分析が行われた。仲裁と交渉の相違がきちんと理解できていないと練習できないという太田勝造東大教授からの指摘があった。常に定義の大切さを強調しているわたしとしても我が意を得たりである[2]

交渉の審査基準では、「ウィンウィン・ソルーションを目指していたか」というのがある[3]。ところが、ウィンウィンの意味を「足して2で割る」と誤解している学生がいる。これではよい評価は受けられない。

 太田教授によれば、ウィンウィン・ソルーションとは折半することではなく、パイを大きくすることである。だから和解における互譲(民法695条)もウィンウィンではないと岡田幸宏同大教授。次のゲームで説明してみよう。

 姉妹が1個のオレンジを「これはわたしのものよ」と取り合っている。オレンジの価値が10だとすれば、姉がオレンジをとり、妹が失うとすれば+10と-10で足すと総和は0となるから、これはゼロサムゲーム。オレンジを折半すれば、それぞれ+5+5を獲得するから合計は10となり価値は変わらない。

ところが姉が本当に欲しいのはケーキ用の皮で、妹は実を食べたいだけだったとすれば、2人で皮と実を分ければ双方共に+10+10を獲得できるから、価値の総和が20になる。つまりこの解決方法がパイが大きくなったからウィンウィン・ソルーションである。これは交渉力を高める7つのポイントの「3.双方にとって有利な選択肢(オプション)を考え出す」であった[4]

 リーダーズキャンプの最後に参加者に「役に立ちましたか。来年もやって欲しいですか」と質問した。最初の質問はわたしにとってもイエスである。交渉やディベートや国際取引法の演習だけではなく、現在計画中の問題解決の授業をデザインするためにも、大変勉強になった。しかし、来年もやって欲しいという声が(無理強いを含めて)圧倒的だったが、交渉コンペの運営委員が第2回目を企画できるかどうかは自信がない。

 教育の目的や効果と関係なく、ますます多忙になる大学教授である。森下哲朗上智大教授らのエネルギーを持ってしても、日本の大学の置かれた状況は余りにも厳しい。政策の貧困により、日本の大学は100年かけて蓄積した知的資産を食いつぶしつつある。教員や大学の自助努力を超えている。政府はまったくあてにできない。日本から世界に通用する交渉者やディベーターを輩出するために、交渉コンペのOBOGや支援者の助力を期待したい。




[1] 大学対抗交渉コンペティションについては、公式ホームページ参照。http://www.osipp.osaka-u.ac.jp/inc/index.html
[2] 2010719日月曜日 「紛争、交渉、討論、対話、議論」 参照。http://nomurakn.blogspot.com/2010/07/blog-post_19.html
[3] 交渉コンペティションの審査基準は前掲注1の公式ホームページに最新のものが公開されている。現在なら、大会の記録 第8回大会の「問題・規則等」のページの最後に掲載されている。
[4] 2010617日木曜日 「交渉力を高める7つのポイント」参照。http://nomurakn.blogspot.com/2010/06/blog-post_17.html

2010年9月5日日曜日

多元社会における熟議の機能-サンデル教授に学ぶ

サンデル教授に学ぶ正義論の5日間のセミナーが昨日終了した。沢山の切り口を発見できたが、来週の実践法教育研究会に向けてどうまとめるか。

最近の政治状況では、菅直人首相がいう熟議による民主主義が重要だ。「国民が政治に参加するため、全員参加の政治、熟議の民主主義が必要だ」(92日民主党代表選の小沢一郎氏との討論会)。この発言は論理的ではないが結論はよい。多元社会で対立する価値観にどう折り合いをつければよいか。サンデル教授の例では、同性婚を認めるかどうか。参加と熟議がキーワードとなる。

意見の対立は、結婚の目的についての価値観の対立に起因する。生殖派、同意派と愛のきづな派、どれが正しいのか。私的な会話では相手の意見を尊重してそっとしておくことも選択肢である。しかし公共の問題は中立では解決できない。たとえば同性婚なら、それを国家が認めるか否か、それに法的保護を与えるべきかどうかが問題なのだ。

サンデル教授によれば、道徳的価値が対立する場面で相手を尊重するとは、相手を無視したりそっとしておくことではない。尊重するとは、相手を巻き込み参加させることである。対立する相手と深い議論を重ねて続けることで、ある場合には自分の意見を修正し、ある場合にはそれを補強することになる[1]。異なる意見に耳を傾けそこから学ぶ過程で、なにが正しいのかが見えてくるかも知れないというのである。

熟議(deliberation)による政治というだけであれば、伝統的な議会制民主主義が目指してきたことと変わらない。サンデル教授は、困難な問題について、なにが善いことなのかをみんなでよく考えること、みんなで熟議すること(public deliberation)を提唱する。英語の先生や政治学の先生には「間違っています」と言われるかも知れないが、サンデル教授の言葉を大阪弁でつぎのように表現してみよう。

困難な問題を人のせいにする政治(a politics of avoidance)ではあかん。なにをやらなあかんかをみんなで考えていく政治(a politics of moral engagement)のほうが理想として元気が出るやん。そのほうが正しい社会の基礎をつくっていけるんと違うやろか。


[1] ソクラテスやプラトンの対話の伝統に則っている。2010719日月曜日 紛争、交渉、討論、対話、議論http://nomurakn.blogspot.com/2010/07/blog-post_19.html参照。また、さまざまな角度から熟慮を重ねて均衡点に達するという方法は、ロールズの反省的均衡(reflective equilibrium)の方法である。