中山みきは40歳(1838年、天保9年)、出口ナオは55歳(1892年、明治25年)で神がかりになった[2]。今の日本ならだれもついて行かないだろう[3]。でもなぜ神がかりの人にたくさんの人がついて行ったのだろう。
「マホメットは大体四十歳の頃から自分でも訳のわからない妙な気持ちに突然襲われて、異様な言葉を吐くようになるのだが、その最初の頃の体験はまるで何か恐ろしい病魔の発作のような猛烈なもので、激しい痙攣に全身から脂汗を流し、言い知れぬ苦悩に心身をさいなまれた。その時期の天啓は現行『コーラン』で言うと最後の部分におさめられている。それらはいずれも十句、二十句、あるいはそれ以下の小さなもので、全体に異常な緊迫感が漲り、謎めいた言葉がまるでちぎり取られた岩石の塊のように力強く投げ出されて行く。語句はいずれも短く鋭角的で、それの積み重ねが、実に印象的に、その時のマホメットの切迫した、きれぎれの呼吸を読む人に伝えて来る。そして一句一句の区切れごとに執拗に振り下ろされる脚韻の響きの高い鉄のハンマー。これは到底翻訳できるようなものではない。」井筒 俊彦 訳『コーラン(上)』302頁、ワイド版岩波文庫 (2004年)