2011年6月11日土曜日

伝えたいという思いが弱いから伝わらない

日本の学者の議論がわかりにくいのは、伝えたいという思いが弱いからではないかと以前ブログで書いたことがある[1]。コース(Coase)ら経済学者を例にとったものだったが、論理学者や法学者でも同じだ。

トゥールミン(Toulmin)は、古いモデルを壊すために法学モデルを援用して有名なトゥールミンモデル[2]を提唱したのだ[3]。しかし、われわれ論理学者や法学者にそんな古いモデルを打ち壊して新しいモデルを提唱するようなすような意気込みがあるだろうか。

トゥールミンは議論の内容を問わない形式論理学を批判する。理論がわれわれの日常生活における議論と結びついていないというのだ。そして、健全な議論、すなわち強い根拠に裏付けられた主張とは、批判に耐えうる主張であって、裁判で勝訴するために必要な基準を満たすような議論だという。

トゥールミンは、論理学を実生活で生かすために、「一般化された法学」としての論理学を主張したのである。しかし、日本の論理学や法学は、実社会においての健全な議論の発展に貢献しているだろうか。

法学と論理学との実践的対話の進展に期待したい[4]



[1] 「法的議論と議論の構造」2011217http://nomurakn.blogspot.com/2011/02/blog-post.html.
[2]「弁護士と法学者の対話」2010521http://nomurakn.blogspot.com/2010/05/blog-post_21.html.
[3] スティーヴン・トゥールミン、戸田山和久・福澤一吉訳 『議論の技法-トゥールミンモデルの原点』10-11(2011)
[4]交渉コンペティションシンポジウム「ディベートと法教育―議論がかみ合うとはどういうことか」における樋口正樹裁判官と福澤一吉教授の対話はDVDに収録され、シンポジウム参加者に無料で頒布されている。http://www.osipp.osaka-u.ac.jp/inc/sympo/6.html

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