2011年9月4日日曜日

合理的な正解


昨日727日]の交渉研究会では、小学生に主人公の行動の理由や相手の立場を考えさせる教材の提案があった。これに対して、教育学の研究者は、小学校の先生は正解が複数あるような教材は使いたがらないという。その晩小林めぐみの小説を読んでいたら、「それは合理的な正解だ。」というせりふがあった。

7月にツイッターの続きをブログで書きかけて、途中で忘れてしまっていた。


教員は正解が複数ある教材を好まないという指摘に対して、企業法務の立場から茅野みつるさん(カリフォルニア州弁護士)が次のように発言された。ビジネス交渉では選択肢を創造的に増やすことが最重要であり、正解が一つというのは現実的でない。たまたま小林めぐみのSFを読んでいて「それは合理的な正解だ。」というせりふがあったので、そうそうその通りと思ったのである。合理的な正解は複数あるのだ。


人間界においては、ある問題に対して合理的な正解というのは複数ある。しかしそれが状況から見て最適の解かどうかはわからない。このことは、つぎの文脈から明らかになる。

地位や名誉もある地球保護委員会の長老が地球調査ミッションに志願したが、彼女が乗り込んだ宇宙船が撃墜された。
「まったく、人騒がせな女性だ。だからあれほど行かない方がいいと忠告したのに」
「だれが言っても狙われるのだから、自分で行くのが適当だとおっしゃっておりましたが」
「それは合理的な正解だ。結論から見た言いわけだ」小林めぐみ『地球保護区』49頁(ハヤカワ文庫、2009年)



正解が1つと教えたい教員は困ったものだ。現実の社会で使えない知識を教えてどうする。


そういえば昔英語学校と予備校で英語を教えていたころ、TOEFLに似た英語学校の講師採用試験でただ1人満点を取った先輩講師がいた。高学歴のネイティブ講師でも簡単には満点が取れない英語の総合力が試される問題だ。その先輩講師が予備校の英作文の授業で、英語ではああも言えるこうも言えると教えたら、学生から正解を教えて欲しいと注文があったという。


正解かどうかに最大の価値を置く教育が、わかりにくい答弁や人の感情を無視した説明を平気で繰り返すような企業幹部や官僚や学者を生み出しているのかもしれない。間違っているか間違っていないかではなく、効果的に伝わるか伝わらないかが問題なのだ。正解でも伝わらなければ意味がない。

2011年8月12日金曜日

相手の立場にたつということ



「相手のことをいつも思いやっていると、それがだんだん広がってくるのです。集団として心が育つのですね。すると、もっともっと、その人のいいところが見えてきて、それがまた隣の人へ、さらに隣へと伝わり、それがやがて大きなエネルギーとなり、“音”になるのです」指揮者コバケンのことばである。

<https://twitter.com/nomurakn/status/101871910593380352>

小林 研一郎 指揮者
月刊WEDGE 200712月号120-121

驚くべし、ジブリの鈴木さんもこんなことを言っている。

「いろんな人が集まって一つのものを成功させる最大の秘訣は、自分の立場を忘れることだと思っているんです」
鈴木 敏夫 映画プロデューサー
JAL Skyward 20093月号114-115

以上はまたまたNPO会員専用データベースLeadership Theory in Practiceからの再引用である。 このデータベースは、リーダーシップの養成に役立つと思われる実践知を集めようという試みである。ともかく法学の片手間にやっているだけだが、「集める→関係づける→ときどきまとめる」作業を続けていけば何か見えてくるかも。

最後はブログからの再引用。関係づけができてきただろうか。

「前原外務大臣は外国人政治献金問題で、「私心を捨てて」辞任した。私心を捨てて公務にあたれ"Obliti Privatorum - Publica Curata"。ラテン語でクロアチアのドゥブロヴニク旧総督府の碑文にある(下の写真参照)。15世紀頃に広まった政治家の「理想」を表す標語らしい。

鳩山邦夫総務大臣とのバトルで有名になった日本郵政の西川善文前社長にリーダーシップで一番重要なことは何かときいたら、迷わず「私心を捨てること」だと答えた。氏は大銀行の頭取を8年間も務め、日本郵政社長としても鳩山大臣が辞任させられたのに自分は踏みとどまった。私心を捨てることは西川流の打たれ強さやしぶとさの源泉であるようだ。

私心を捨てることは信頼されるリーダーの評価基準になるのではないか。たとえば、民主党政権の鳩山由紀夫前首相や菅直人首相は私心を捨てているように見えるだろうか。」
「私心を捨てるということ-Obliti Privatorum
Nomuraknブログ2011310日木曜日
http://nomurakn.blogspot.com/2011/03/obliti-privatorum.html

あなたは独りぼっちではない


「感情をより多くの人々に伝え、日常と異なる時空の休息を与え、『あなたは独りぼっちではない』と励ますため職能のすべてをささげる社会的責任」を強く意識するようになった。」昔データベースに引用したクリスチャン・ツィメルマンのことば。優れたプロの修練に裏付けられたことばは普遍的だ。

Leadership Theory in Practiceデータベースの成果第2号である。アートとアーティストの力として淡路島の若者に紹介しよう。

クリスチャン・ツィメルマン ピアニスト
日本経済新聞 2008112日(日)25

場を与えれば成長する


「今の若者はコミュニケーション能力が低いという。でも僕の実感では、引き出す機会に恵まれていないだけだ。実際撮影現場で学生はみるみる成長した。力を引き出す場を与えることが必要だ。」これは映画監督の山田洋次さんのことば。畑違いの大学教員がまったく同じことを感じているのはなぜだろうか。

このことばは、淡路島で若者に話をするための素材を探していたら、NPO会員専用のLeadership Theory in Practiceデータベースで再発見したものだ。データベース作っていてよかった。

引用は下記。

山田洋次 映画監督
日本経済新聞2010915日(水)夕刊文化 18

2011年8月3日水曜日

他力の教えと自力のブッダ

親鸞の他力本願は、悪業煩悩の身でも阿弥陀仏に「たすけたまえ」と心から唱えれば助けてくださると考える。「犀の角のようにただ独り歩め」というブッダの教え(スッタニパータ)とは遠く離れている。「何も存在しないと思うことによって煩悩の激流を渡れ」といえるブッダはやはり意志が強かったのだ。

他力本願は、自分の修行の多寡ではなく南無阿弥陀仏と唱えて衆生を浄土に導こうという阿弥陀仏の願いの力を頼むことによって極楽浄土に行けるという意味である。浄土真宗の開祖親鸞(1173-1262)の解説は後で引用するが、さすがにことばが難しい。
少し近代の蓮如[1](14151499)は、門徒ならだれでも知っている「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり[2]」など、わかりやすい。蓮如は、中国の善導[3]による「南無阿弥陀仏」の解釈を解説しながら、つぎのように述べている。

「たとへばわれらごときの悪業煩悩の身なりといふとも、一念阿弥陀仏に帰命せば、かならずその機をしろしめしてたすけたまふべし。それ帰命といふはすなはちたすけたまへと申すこころなり。[4]

「犀の角のようにただ独り歩め」、「何も存在しないと思うことによって煩悩の激流を渡れ」というブッダのことばは、中村元訳『ブッダのことば――スッタニパータ――』  からの引用である[5]。中村訳は本当に分かりやすい。訳者の人格がにじみ出ているようだ。たとえば、

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。[6]

色即是空、空即是色という『般若心経』の源流がここにあるようだ。ブッダは「妄執を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)がある[7]」という。般若心経はつぎのようにいう。

「それ故に、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、おそれがなく、顚倒した心を遠く離れて、永遠の平安(ニルヴァーナ)に入っているのである。[8]
菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃[9]

ブッダは、つねによく気をつけ執着心を捨てて世界を空と観れば、この世で涅槃が得られると考えた。これに対して、ブッダから千年以上たって、親鸞は、念仏により死ねば浄土に生まれ変われると説いた。親鸞は、その方法を『教行信証』でつぎのように解説している。

67】『選択本願念仏集』 源空[10]集 にいはく、
「南無阿弥陀仏 往生の業は念仏を本とす」と。

68】またいはく(同)、「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと[以上185頁]欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」と。以上

  【69】あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大  宝海に帰して念仏成仏すべし[11]。[以上186頁]

以上


[1] 本願寺第八代宗主。
[2] 蓮如上人御文(御文章)五帖の十六。御文章、『浄土真宗聖典(註釈版)』http://www.terakoya.com/seiten/chushaku.html
[3] 善導(613-681)は、中国浄土教の大成者。親鸞(1173-1262)の『教行信証』では、光明寺の和尚と呼ばれている。
[4] 蓮如上人御文(御文章)前掲注(2)、五帖の十三。学問的には、「大正新脩大藏經テキストデータベース」というすごいものがある。http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/.
[5] 中村元訳『ブッダのことば――スッタニパータ――』 ワイド版岩波文庫、1991年、17頁以下「第1蛇の章」「3 犀の角」および224頁以下「第5 彼岸に至る道の章」 「7 学生ウパシーヴァの質問」。
[6] ブッダのことば前掲注(5)236頁、「第5 彼岸に至る道の章」 「16 学生モーガラージャの質問」。
[7] ブッダのことば前掲注(5)234 14 学生ウダヤの質問」。
[8] 中村元・紀野一義訳注『般若心経・金剛般若経』ワイド版岩波文庫13頁、2001年。
[9] 般若波羅蜜多心經 (No. 0251 玄奘譯 )、「大正新脩大藏經テキストデータベース」http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/.
[10] 源空(1133-1212)とは、法然房源空、すなわち浄土宗の開祖である法然上人である。
[11] 『浄土真宗聖典(註釈版)』「顕浄土真実教行証文類」行文類二、185-186頁。http://www.terakoya.com/seiten/chushaku.html. 「大正新脩大藏經テキストデータベース」、「顯淨土眞實教行證文類 (No. 2646 親鸞撰 )」には原文の漢文で収録されている。http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/.

2011年7月31日日曜日

平泉-アテルイから芭蕉まで-802年~1689年

NHKで藤原清衡の中尊寺落慶供養願文(1126)の画像が流れたが、「蛮夷は善に歸し」が読まれなかった。「征夷」大将軍坂上田村麻呂による802年アテルイ降伏から前九年・後三年の「役」の歴史の無視。頼朝による奥州征伐(1189)により、兵どもが夢の跡(1689芭蕉の旅)となる。20110731改訂済 http://twitter.com/#!/nomurakn/status/97582029343956993

802年、蝦夷の指導者アテルイは、「征夷」大将軍坂上田村麻呂に降伏した。その後、前九年の「役」(10511062年)および後三年の「役」(10831087年)を経て、中尊寺が建立されたのである。
天治3年(1126清衡により奉納されたと伝えられる落慶供養願文[1]には、つぎの言葉がある[2]

「官軍と夷虜の死の事、古来幾多なり」、「精魂は、皆他方の界に去り、骨は朽ち、猶もって此土の塵となる。鐘の聲(ね)の地を動かす毎に、冤霊(えんれい)をし て、浄刹(じょうさつ)に導かさしめん。」
[官軍の兵に限らず、エミシの兵によらず、古来より多くの者の命が失われました。・・・命あるものたちの御霊は、今あの世に消え去り、骨も朽ち、それでも奥州の土塊となっております。この鐘を打ち鳴らす度に、罪もなく命を奪われしものたちの御霊を慰め、極楽浄土に導きたいと願うものであります。]

「蛮夷は善に歸(帰)し、 豈(あに)、諸佛、摩頂の場に非ずや。」
[エミシも仏善に帰依することになり、まさに、この地は、諸佛の功徳を直に受けることができる場[3]というべきではないでしょうか。]

1185年(文治元年)壇ノ浦の戦いで平家滅亡。1187年源義経平泉に亡命。同年藤原秀衡(藤原氏三代)死去。1189年(文治5年)、義経は藤原泰衡に襲われ自害。同年、頼朝の奥州攻め。奥州藤原氏滅亡[4]

芭蕉は1689年に奥の細道の取材のために、この地を訪れた。奥の細道からの引用[5]

三代[6]の栄耀(えいえう)一睡(すゐ)の中にして、大門のあとは一里こなたにあり。秀衡(ひでひら)が跡(あと)は田野に成りて、金鷄山(きんけいざん)のみ形を残す。先づ高館(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河なり。衣川(ころもがは)は和泉(いづみ)が城(じやう)をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡(やすひら)等が旧跡(きうせき)は、衣(ころも)が関(せき)を隔(へだ)てて南部口(なんぶぐち)をさし堅め、夷をふせぐと見えたり。偖(さて)も義臣すぐつて此の城にこもり、功名(こうみやう)一時の叢(くさむら)となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷(し)きて時のうつるまで泪(なみだ)を落し侍りぬ。
  夏草(なつくさ)や兵(つはもの)どもが夢(ゆめ)の跡(あと)

卯(う)の花(はな)に兼房(かねふさ)みゆる白毛(しろげ)哉(かな) 曾良


[1] 中尊寺のホームページで一部の画像がみられる。「文化財の紹介」「紙本墨書中尊寺建立供養願文(重要文化財 建武3年(1336))」によれば、「失われた原本は藤原敦光が起草し、藤原朝隆の筆と伝える。嘉暦4年(1329)の奥書と端書のある輔方本と「鎮守大将軍」の奥書のある顕家本がある。顕家本は延元元年(1336)、北畠顕家19歳の筆になる。」という。中尊寺大長寿院蔵。http://www.chusonji.or.jp/guide/culturalassets/index.html
[2]中尊寺落慶供養願文、平泉研究家の佐藤弘弥氏による編集・読み下し文および現代語訳から一部修正のうえ引用した。
[3] 中尊寺ホームページ参照。http://www.chusonji.or.jp/guide/about/index.html
[4]斉藤利男『奥州藤原三代-北方の覇者から平泉幕府構想へ』(2011年)による。
[5] テキストは次のj-textsのサイトから引用した。http://www.j-texts.com/haikai/okuno.html
[6] 藤原清衡、基衡、秀衡の三代。