2012年6月3日日曜日

中世の世界観と近代の神がかり


末木先生は、中世の人達が見ていた世界は近代以降とまったく違っており、神仏とともにあり、夢に現れる神仏の実在を疑わなかったという。確かに親鸞もそうだったが、明治期でも出口ナオの神がかりが綾部近郊の庶民の信仰を集めて大本教に発展している。世界観を中央の歴史で語るのは危うい。→ブログ

同じ時代であっても中央と辺境の世界観は異なるのだ。周到な末木先生らしくないと思った。大本教(明治25年(1892))も天理教(天保9年(1838))もそれぞれ丹波国綾部(京都府)、大和国山辺(奈良県)という辺境で、神がかりの女性とそれを信じる庶民から広まったのである[1]

「中世の人達が見ていた世界は、近代以降とまったく違っていたのです。そこでは、神仏とともにあるのが当たり前であり、夢に現れる神仏が現実より実在的でないとは、誰も思っていませんでした。」
末木文美士(すえきふみひこ)日本仏教の可能性―現代思想としての冒険―』(新潮文庫、2011217

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