2010年6月17日木曜日

ハーバード流交渉法再考

交渉力を高める7つのポイント-ハーバード流交渉法再考」という論文を執筆しようと思ったが、法律論文の作成で交渉にまで手が回らない。ある程度形ができたらディスカッションペーパーで公刊することにして、取り急ぎブログ用に2つに分割して掲載することにする。


 ハーバード大学の法科大学院で教えられている交渉方法は、日本でも「ハーバード流交渉術」として一世を風靡している。この方法は、1981年に出版されたFisher [1991]の第1(2版にQ&Aが付加されただけで、基本的には第1版と変わりない)で明らかにされ、米国でも広く支持されることになった。しかし、Fisher [1991]では「人と問題を分離する」の説明が不足していたといわれる。Fisher [2005]はこの点を発展させたものといえる。「合理を超えて-感情を活用した交渉」という書名は、前著の特徴といわれた合理的交渉方法を超えることを意図されているともいえよう。
Fisher [2005]を用いたハーバードにおける最近の交渉教育法については、森下[2009]が詳しい。また、感情を活用した交渉法の実際については茅野[2007]が実例を交えてわかりやすく説明している。しかし、Fisher [1991]の第1版で教育を受けた筆者(野村[1986])としては、Fisher [2005]には腑に落ちないところが多々ある。
たとえば「自分が相手の考えや感情や行動を理解しているということを相手に伝えよう」(第3章)とか「相手の社会的ステータスを認めて、尊敬の念を持って接しよう」(第6章)というガイドラインは、さほど目新しいものとは思えない。Fisher [1991]の「立場ではなく利害に焦点を合わせよう」というガイドラインが目から鱗の気づきと実際的な相違をもたらすものであったのに比べると、Fisher [2005]のガイドラインはインパクトに欠けるのではないだろうか。
また、交渉では「協力関係をはぐくむように、一時的な役割を選択しよう」(第7章)というガイドラインがあるが、「役割」(role)という考え方が日本語脳ではしっくりこない。日本において腑に落ちる交渉指針とするためには、さらなる分析と説明が必要だと思われる。
とはいうものの、Fisher [1991] からFisher [2005]へ進化した点があることは認めなければならない。それは、Fisher [1991]においては「原則立脚型交渉法」としてまとめられた5つの指針が、Fisher [2005]では交渉の7要素(Seven Elements of Negotiation)に整理されていることである。しかも、ハーバード流交渉法の代名詞であった「原則立脚型交渉法」がFisher [2005]ではFisher [1991]においても相当の「利害立脚型交渉法」と呼ばれている。これは、Fisher [1991]で述べられたハーバード流交渉法の特徴をより正確に表現したものといえる。
Fisher [2005]が示した交渉の7要素のうち、Fisher [1991]5つの指針に含まれていない二つの要素、BATNAとコミットメントは、5つの指針を補足するものとしてFisher [1991]でも詳しく説明されている。したがって、Fisher [2005]が認めるように、交渉の7要素は当初からハーバード流交渉法の核となっていたといえる。
以上のような進歩が見られるものの、Fisher [2005]の整理した交渉の7要素は、Fisher [1991]から抽出される7要素とは異なる点がある。第1に、Fisher [1991]の第1指針「人と問題を切り離せ」の重点が異なっている。
Fisher [1991]では「人と問題を切り離せ」は交渉当事者を対立的に見ないで、同じ問題に取り組む協力者だと見るところに重点があったように思われる。いわゆる問題解決型交渉法である。これに対して、Fisher [2005]では、たとえば年齢、地位、家族や趣味などについて相手との共通点を探して「つながり」(affiliation)を築いて「対立者を同僚に変えよう」(第4章)というが、これを強調しすぎると姑息な手段ととられかねない。
さらに問題なのは、Fisher [1991] Fisher [2005]では「コミットメント」の意味が違ってきているのではないかという点である。Fisher [1991]におけるコミットメントは、ゲーム理論で言う「クレディブル・コミットメント」(相手が信頼して次の一手に打って出ることができるような確約)の意味である。しかし、Fisher [2005]が示すコミットメントは、法律的な合意の要素となる約束という意味で使われている。たとえば、第9章では、合意に至るために当事者双方ができる可能性のある約束を考えて、それぞれの案を作成してみるという指針が示されているのである。
旧著の説明の方がわかりやすいというのは、古い時代に教育を受けた筆者の偏見かもしれないが、次のブログででは旧著Fisher [1991]の観点からの交渉力を高める7つのポイントを示して、交渉を学ぶ人達の参考に供したい。

参考文献
1. 野村美明「訴訟社会と交渉技術-ハーヴァード大学における実践教育について」『阪大法学』140235249頁 (1986)(野村[1986])
2. 野村美明「法律家としての交渉力を高めるために―経験から学べるか」『月刊司法書士』平成16年7月号(№389)(2004年)(野村[2004])http://www2.osipp.osaka-u.ac.jp/~nomura/profile/ronbun/genkou/shiho.pdf
Fisher, Ury & Patton, Getting To Yes (Penguin, 2d ed., 1991)(Fisher [1991]、前著)日本語訳:金山宣夫、浅井和子訳『新版ハーバード流交渉術』(ティービ-エス・ブリタニカ、1998
3.Roger Fisher & Daniel Shapiro, Beyond Reason: Using Emotions as You Negotiate (2005) Fisher [2005]、後著)日本語訳『新ハーバード流交渉術-感情をポジティブに活用する』)
4.太田勝造・野村美明編『交渉ケースブック』(商事法務、2005年)(太田・野村[2005])
5.茅野みつる「人を動かす-交渉と感情」『JCAジャーナル』第541256-67頁(2007 年)(茅野[2007])
6.森下哲朗「法曹養成における交渉教育―ハーバード・ロースクールでの教育を参考に―」『筑波ロー・ジャーナル』631-75頁(20099月)(森下[2009])

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