2011年6月23日木曜日

神の啓示と神がかり

井筒俊彦によれば、マホメットは40歳くらいから「自分でも訳のわからない妙な気持ちに突然襲われて、異様な言葉を吐くように」なったそうだ。これが天啓としてコーランにおさめられている[1]

中山みきは40歳(1838年、天保9年)、出口ナオは55歳(1892年、明治25年)で神がかりになった[2]。今の日本ならだれもついて行かないだろう[3]。でもなぜ神がかりの人にたくさんの人がついて行ったのだろう。

マホメットは、自分がもの憑きと呼ばれることを否定した[4]。巫者の活動が多神教の偶像崇拝に直属していたからだという[5]。マホメットの神がかりについて、コーランの文体から次のように説明されている。

「マホメットは大体四十歳の頃から自分でも訳のわからない妙な気持ちに突然襲われて、異様な言葉を吐くようになるのだが、その最初の頃の体験はまるで何か恐ろしい病魔の発作のような猛烈なもので、激しい痙攣に全身から脂汗を流し、言い知れぬ苦悩に心身をさいなまれた。その時期の天啓は現行『コーラン』で言うと最後の部分におさめられている。それらはいずれも十句、二十句、あるいはそれ以下の小さなもので、全体に異常な緊迫感が漲り、謎めいた言葉がまるでちぎり取られた岩石の塊のように力強く投げ出されて行く。語句はいずれも短く鋭角的で、それの積み重ねが、実に印象的に、その時のマホメットの切迫した、きれぎれの呼吸を読む人に伝えて来る。そして一句一句の区切れごとに執拗に振り下ろされる脚韻の響きの高い鉄のハンマー。これは到底翻訳できるようなものではない。」井筒 俊彦 訳『コーラン(上)』302頁、ワイド版岩波文庫 (2004)



[2] 中山みき/村上重良校注『みかぐらうた・おふでさき』264頁(東洋文庫、1977年)、出口ナオ/村上重良校注『大本心論 天の巻』159頁(東洋文庫、1979年)
[4] 「これ、お前がたの仲間(注釈略)は決してもの憑きなどではない(注釈略)。」井筒 俊彦 訳『コーラン(下』264頁、ワイド版岩波文庫 (2004)
[5] 前掲318-319頁参照。

2011年6月11日土曜日

伝えたいという思いが弱いから伝わらない

日本の学者の議論がわかりにくいのは、伝えたいという思いが弱いからではないかと以前ブログで書いたことがある[1]。コース(Coase)ら経済学者を例にとったものだったが、論理学者や法学者でも同じだ。

トゥールミン(Toulmin)は、古いモデルを壊すために法学モデルを援用して有名なトゥールミンモデル[2]を提唱したのだ[3]。しかし、われわれ論理学者や法学者にそんな古いモデルを打ち壊して新しいモデルを提唱するようなすような意気込みがあるだろうか。

トゥールミンは議論の内容を問わない形式論理学を批判する。理論がわれわれの日常生活における議論と結びついていないというのだ。そして、健全な議論、すなわち強い根拠に裏付けられた主張とは、批判に耐えうる主張であって、裁判で勝訴するために必要な基準を満たすような議論だという。

トゥールミンは、論理学を実生活で生かすために、「一般化された法学」としての論理学を主張したのである。しかし、日本の論理学や法学は、実社会においての健全な議論の発展に貢献しているだろうか。

法学と論理学との実践的対話の進展に期待したい[4]



[1] 「法的議論と議論の構造」2011217http://nomurakn.blogspot.com/2011/02/blog-post.html.
[2]「弁護士と法学者の対話」2010521http://nomurakn.blogspot.com/2010/05/blog-post_21.html.
[3] スティーヴン・トゥールミン、戸田山和久・福澤一吉訳 『議論の技法-トゥールミンモデルの原点』10-11(2011)
[4]交渉コンペティションシンポジウム「ディベートと法教育―議論がかみ合うとはどういうことか」における樋口正樹裁判官と福澤一吉教授の対話はDVDに収録され、シンポジウム参加者に無料で頒布されている。http://www.osipp.osaka-u.ac.jp/inc/sympo/6.html