2014年6月22日日曜日

授業は教え授けることという思い込み


ジョン・ハンターの世界平和ゲームの日本語解説はおかしい。「なぜ教室での授業よりも、自発的な行動や常に予期できないことばかりが起きる世界平和ゲームで深い学びが起こるのでしょうか。」ゲームや交渉は授業ではないという思い込みがあるのか。
http://www.ted.com/talks/john_hunter_on_the_world_peace_game?language=ja

「なぜ教室での授業よりも・・・深い学びが起こるのか」[1]といってしまうと、教室での授業が深い学びを起こさないように聞こえてしまう。そもそもこのゲーム自体も教室での授業で用いられているのだ。何でこんなことにこだわるのかというと、大学での講義形式の授業だけでは深い学びが起こらないのではないかと反省したからである。
英語版のTED(Technology Entertainment Design)の解説では「教室での授業」ではなく” classroom lectures”となっている[2]。つまり、教師が講義する形式の授業という意味である。英語の解説の言いたいことは、教室で世界平和ゲームを用いた授業をすることによって、教師の説明中心の授業よりも深い学びを生徒の中に引き起こすことができるということなのである。
「授業」を辞書で引くと、つぎのように「教え授けること」と定義している辞書もあるが、「生徒に習得させるために行う活動」という定義のほうがよい。世界平和ゲームも教室での授業といえる。

授業(じゅぎょう)
「[名](スル)学校などで、学問や技芸を教え授けること。「国語の―を受ける」「教科書なしで―する」「―時間」」デジタル大辞泉。
「教師が諸分野の知識,技能を生徒に習得させるために行う活動。講義や一斉教授など教師中心の授業が伝統的であったが,今日では新教育の影響で,生徒の自主性や経験が重んじられ,多様な授業方式がある。」 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典[3]

テッドの日本語版解説が授業という言葉を教え授けるという意味で使ったのは、単に英語翻訳がまずかったのか、それとも解説者の授業に対するイメージをあらわしているのだろうか。



[1] テッド(テディーベアの名前ではない)の「ジョン・ハンターの世界平和ゲーム」の日本語版解説は、つぎの通りである。「ジョンは、児童が世界平和ゲームにどのようにのめり込んでいるのかを話します。なぜ教室での授業よりも、自発的な行動や常に予期できないことばかりが起きる世界平和ゲームで深い学びが起こるのでしょうか。」
[2]  ”At TED2011, he explains how his World Peace Game engages school kids, and why the complex lessons it teaches — spontaneous, and always surprising — go further than classroom lectures can.” ”Teaching with the World Peace Game” http://www.ted.com/talks/john_hunter_on_the_world_peace_game.
[3] この2つの定義は、つぎの辞書で見ることができる。http://dic.yahoo.co.jp/.

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