2013年10月21日月曜日

マスメディアによる報道の「中立」性?

学力テストの学校別結果の公表をめぐり、メディアの姿勢の違いが際だった。
nikkeiは保護者ら4割以上賛成、asahiは市区町村教委の8割が公表禁止支持。両紙は情報の出所を文科省の調査でとするが、NHKは「結果公表に慎重意見」として有識者会議が出所という。詳細はブログで。
twitter.com/nomurakn/status/392300368652029952

学力テストの学校別成績公表、保護者ら4割以上賛成 「都道府県知事の4割以上が区市町村教育委員会による学校別成績の公表に賛成していることが21日、文部科学省の調査で分かった。」2013/10/21 11:22 www.nikkei.com/

学力調査学校別結果、市区町村教委の8割が公表禁止支持
「市区町村教育委員会の79%が「教委による公表に反対」と考えていることが文部科学省の調査で分かった。」
201310212251www.asahi.com/

学力テスト結果公表に慎重意見 「全国学力テストの結果の公表方法を検討している文部科学省の有識者会議が開かれ、「子どもへの影響や学校の序列化が心配だ」として、学校ごとの結果を教育委員会が一律に公表することに慎重な意見が相次ぎました。」
1021 197http://www3.nhk.or.jp/

平成251021日(月曜日)1000分~1200分 全国的な学力調査に関する専門家会議(平成2579日~)(第3回)の開催について

www.mext.go.jp/

2013年9月3日火曜日

REITはなぜ信託ではなく法人なのか

不動産投資のREIT(Real Estate Investment )が増えている。Trustといっても信託ではなく、法人である。日本の証券投資は信託中心なのに、不動産投資は法人なのはなんでやろ。会社法で教えればおもしろいのに。http://s.nikkei.com/1a14r1K
                                
興味深いことに、米国証券取引委員会(SEC)のサイトにもREITとは会社(a company)であると説明されている。信託ではなく法人という法形式をとったおもな理由は、不動産所有の必要性と投資家保護かもしれないが、法人税法にも関係しておもしろそうだ。法律学の基本概念は、会社とはというような本質論を問う説明よりも、経済的必要に迫られた実態から説明するほうが、ずっとおもしろくて、かつ、ためになる。どこかでそんな創造的な法学の授業をやっていないかな。

もちろん、最先端領域法学などという変な講義ではなく、会社法や民法のような基本科目で教えねば。でもきっと基本科目の講義には規制が多いから、「教えたいが授業時間が足りません」というのだろう。本当にそうか。政府による規制と同じように、なんのための規制かを考えないと既得権の保護に終わってしまう。

以下はURL資料集。

不動産投資、国内勢も増額 REITやオフィスビル
2013/9/3 2
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD260MB_S3A900C1EA2000/

J-REITとは?
http://www.toushin.or.jp/reit/about/what/

審議会資料
投資信託・投資法人法制の現状
http://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/toushi/siryou/20120307/03.pdf

根拠法
投資信託及び投資法人に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26HO198.html

米国証券取引委員会(SEC)のサイトによる説明
Real Estate Investment Trusts (REITs)
http://www.sec.gov/answers/reits.htm

2013年8月30日金曜日

ベンチャーと難民支援から見ると 多様な価値を認める教育が大切

2人のカリスマが教育に価値観の多様性を求められている。ベンチャーの南部さんはチャレンジする若者を育てたい。http://goo.gl/ve4QMp.国際支援の緒方さんは、リーダーシップを持った日本にしたい。http://goo.gl/0EOow6.多様性はお飾りではない。

緒方さんの記事が昨日の日経にあったので、出典をウェブ版のURLgoo.glで短縮してツイートした。今日クリックしてみたら、今日の朝刊が表示されてしまう。短縮のやり方を間違ったのか。というわけで、南部発言と共に、もとのURLと引用をnomuraknブログに掲載することにした。

出典
南部靖之「夢の羅針盤①」『教育人会議』201301 p2426フロムページ

「・・・正しい教育だと思ってひとつのものさしだけで教育をしていると、みんながお互いの才能を認められず、最後は国家が失速する。算数で100点取るのも、100m競争でl番になるのも同じ価値があるのにです。だから価値観の多様性を教えるべき。競争は大切だがそれは自分との戦い。勉強やスポーツ、音楽やアートの中では競争は必要ですが価値観の多様性も教えなければいけません。」
「消費税や原発などの社会問題も、本当はお互いを認め合うべきですが、いまはけなし合うことばかり。それは教育が原因でしょう。すべてが点数競争で勝ち抜くから、そのゆがみが世の中をすさんだものにしているんです。・・中略・・。利益や数字だけで評価され、本質を見抜く力を見失っています。・・中略・・原子力発電所の問題でも、止めるとお金が動かない、利益にならないという判断や理論ばかり。経済界に聞いたら約9割は原発再開に賛成だそうです。これは本質を見ずに、数字だけを見ているからです。命をおびやかすものなのに、正しいといわれている。・・中略・・。そんな難しい問題だからこそ、総理大臣が迷って最後に再開の判断をくだされた。しかしその根拠は単なる数字です。正しいのですが、怖い結論だと思います。法律などの「正しさ」というのは時代とともに変わるが正義は変わりません。だから僕がいつも言うのは「流行に流されず、風評に惑わされず、定説に屈せず、権力に服さず」ということ。いくら議論しても、本質を見抜く教育が大切! いまは小・中・高、そして大学もすべては点数という評価基準のものさしでやっている以上、問題は起こりますよ。」25


辛言直言 緒方貞子 「多様な価値 理解広げよ」
日経 2013829日【朝刊】27
日経Web記事
http://www.nikkei.com/article/DGKDZO59031670Y3A820C1TCQ000/


 「英語は国際語かもしれないが、それができればいいという話ではない。アジアの国も含めてやはり国が進歩してくると、多様性が必要になってくる。画一的な教育を受けて、画一的にものを考えるのではなく、多様な価値が理解でき、多様な対応ができる人が日本にも必要だ」・・中略・・
 「国際化と多様化がやや混同されている面がある。本当に必要なのは、いろんな価値を比較習得していく人材が日本の中で育っていくことだ。それは国文や漢文の分野でだっていい。多様性が出てこないと本当の意味で近代国家とは言えない」・・中略・・
 「私は国連難民高等弁務官をしていたころ、随分旧ソ連の国を訪れた。そこで旧ソ連の教育の仕方は画一的で、日本に似ていると強く感じた。画一的な教育はある程度のレベルまでみんなを引き上げるが、本当に強い国、リーダーシップを持った国になるには画一的ではだめだ」・・中略・・

「講義だけで終わりではなく、ゼミなどできめ細かい指導が欠かせない。米国の大学院に留学していたときは、ほんとうにたくさんのペーパーを書かされた。必要なら米国のように学生の教育指導にあたるティーチング・アシスタントを増やした方がいい。学生が論文もかかないで講義だけ聴いて卒業していくのは楽過ぎる気がする。」引用終わり。

2013年8月29日木曜日

Magneticとcharismatic

 いつもカリスマという言葉を忘れる。何やったかなとリーダーシップの本までめくって考えてもアルツ。確かマグネティックと同じ意味やったと思って引いてみるとあたり。類語にちゃんとcharismaticと出ていたので、思い出す。辞書の定義も用例もほとんど同じだと発見。ブログにメモしよ。
posted at 22:57:17

Merriam-webster onlinemagneticをひいてみる。形容詞とあって、「人を引きつける神秘的な、マジカルな力を持つこと」と説明している。Charismaticをみると、まったく同じ説明である。例文の文章は違うものの、どちらもカルトのリーダーを主語にしている。メリアム・ウェブスターの編纂者は、リーダーというものを不思議な魅力の持ち主と結びつけているのかもしれない。

カリスマという言葉を、ベンチャー界のカリスマ、難民支援のカリスマとツイートしたかったのだが、えらい寄り道をしてしまった。


以下は、 Merriam-webster onlineからの引用。
magnetic adjective

having an often mysterious or magical power to attract
Synonyms alluring, appealing, attractive, bewitching, captivating, charismatic, charming, elfin, enchanting, engaging, entrancing, fetching, glamorous (also glamourous), luring, magnetic, seductive

charismatic adjective
having an often mysterious or magical power to attract
Synonyms alluring, appealing, attractive, bewitching, captivating, charismatic, charming, elfin, enchanting, engaging, entrancing, fetching, glamorous (also glamourous), luring, magnetic, seductive

magnetism noun
the power of irresistible attraction
Synonyms allure, animal magnetism, appeal, attractiveness, captivation, charisma, duende, enchantment, fascination, force field, glamour (also glamor), magic, magnetism, oomph, pizzazz (or pizazz), seductiveness, witchery

charisma noun
the power of irresistible attraction
Synonyms allure, animal magnetism, appeal, attractiveness, captivation, charisma, duende, enchantment, fascination, force field, glamour (also glamor), magic, magnetism, oomph, pizzazz (or pizazz), seductiveness, witchery

merriam-webster online

http://www.merriam-webster.com/

2013年8月18日日曜日

相手の言い分を聴く練習 議会で覆面は許されるか

17日に梅田のナレッジサロンで開催された大澤先生のワークショップ。相手の言い分を聴いてポイントを捕まえる練習が参考になった。議会での覆面着用賛成派と反対派が、お互いに相手の言い分の理解度を試す方法だ。 問い直そう「議会の品位」土本匡孝 mainichi.jp/opinion/news/2

やり方
Ⅰ 毎日新聞の土本匡孝氏の議事を読んで、覆面賛成派と反対派の2チームに別れて、それぞれの主張を理由づける論点を5つ拾い出し、各チームでホワイトボードに書き出す。

Ⅱ.賛成派と反対派で簡単なディベートをする。

Ⅲ.賛成派と反対派がお互いに相手方の言い分を理解できているかを、つぎのような方法で確認する。
1.覆面着用賛成派Xさんの言い分「abcdという理由で着用を認めるべきです。」
2.反対派Yさん「なるほど、Xさんはabcだからという理由で着用に賛成されるわけですね。」
3.賛成派Xさん「うーん、ちょっと違うかも。」
4.反対派Yさん「そうですか。ではXさんはabcdという理由で着用を認めるべきだというお考えなのですね。」
5. 賛成派Xさん「そのとおりです。」

Ⅳ.一通り終わるとつぎは対派の言い分について行なう。

Ⅴ.2つのチームからそれぞれ同数の中立のファシリテーターを選び、ファシリテーターが前に着席したところで、2つのチームの賛成と反対の立場を逆にする。

Ⅵ.ファシリテーターが双方の議論をかみ合わせる。何が問題か。解決策は何か。それぞれの立場が折り合える点はないか。

→新しいアイディアを生み出すことはできるか。


                      一場面



----参考資料
記者の目:問い直そう「議会の品位」=土本匡孝
毎日新聞 20130423日 0038
 議会の品位とは何か。2月の大分市議選で初当選した全国3人目の覆面レスラー議員、スカルリーパー・エイジ市議(44)=無所属=が、覆面着用での議場入りを「品位に欠ける」として拒否された異常事態を、3月まで勤務した大分支局で取材した。エイジ市議は「投票してくれた2828人の意思を無視している」と議場ドア前に立って抗議したが、会派代表者会議、本会議と2度の「NO」決議を受けて3月19日、「議員の仕事がしたい。大人の対応をする」と、覆面を脱いで議場入りした。全国的に政治不信が叫ばれて久しい。一連の騒動が有権者にとって議会をチェックし、「品位」を問い直すきっかけになればと願う。・・・以下略

2013年5月14日火曜日

バルコニーに上がれ(go to the balcony) ハイフェッツからユーリーへ


ハーバード流交渉術のユーリーは、1991年の著書で「バルコニーにあがって」困難な交渉を眺めよと書いた。ハイフェッツの著書が世に問われる1994年以前に、ユーリーが同僚のハイフェッツの講義から引用したのだ。最近は近所がテロで騒がしいが、ハーバードの知的環境はうらやましい。

1991年の著書とは、William Ury, Getting Past No  Negotiating with Difficult People[1]NOと言わせないためには-難しい人達との交渉法)である[2]。ややこしいのは、同じ1991年にバンタムブックスから出版されたハードカバー版が、1993年にペーパーバック版になった際に改訂されて、William Ury, Getting Past No  Negotiating in Difficult Situations[3]NOと言わせないためには-難しい状況での交渉法)となったことである。

バンタムブックスのペーパーバックでは、書名の副題が「難しい人達との交渉法」から「難しい状況での交渉法」に変わった。しかし、コピライトの頁(タイトルページの裏)やユーリーの2006年付の著者注では書名はGetting Past Noと表示されており、改訂版であることはタイトルページにしか明示されていない。ちなみに、ランダムハウス/ビジネスブックスのペーパーバック[4]では、副題は従来通り「難しい人達との交渉法」となっている。

バンタムブックスのペーパーバックで副題「難しい状況での交渉法」を含む改訂がされたことは、1992年のユーリーによる「ペーパーバック版への著者注」に説明されている[5]「難しい人達との交渉法」という副題では、この本が難儀な性格の相手方との交渉法に関するものだという誤解を読者に与える。しかし、困難な交渉では、お互いが相手を難しいと思ってしまうことが問題なので、「難しい状況」に重点を置いたのだという。しかし、現在入手できるペーパーバックでは、前述の著者注は2006年付けで「著者注 15年後」[6]に変更されていて、現在でも販売されている従来の「難しい人達との交渉法」の副題が付いた版と改訂版との違いはどこにも説明されていないのである。

どのような事情があるのかはわからないが、内容の異なる複数の版が識別困難な紛らわしい書名で発行されているというのは、著者の良識を疑わせる。ある程度エエ加減なところがないと交渉の大家にはなれないということなのかもしれない。


[1] 現在はつぎのペーパーバックが入手可能である。Business Books (Random Century Group),1992,ISBN-10: 0712655239,ISBN-13: 978-0712655231, pp.2,17 and 157.
[2] 翻訳は、ウィリアム ユーリー (), William L. Ury (原著), 斎藤 精一郎 (翻訳)『【決定版】ハーバード流“NO”と言わせない交渉術』単行本(ソフトカバー)三笠書房 (November 27, 2010)ISBN-10: 483795717XISBN-13: 978-4837957171、ウィリアム ユーリー (), William L. Ury (原著), 斎藤 精一郎 (翻訳)『決定版 ハーバード流“NO”と言わせない交渉術』 (知的生きかた文庫) [文庫]三笠書房 (May 1995)ISBN-10: 4837907377ISBN-13: 978-4837907374
[3] 次のペーパーバックが入手可能である。Bantam Trade Paperback reissue, March 2007, (1991, 1993), ISBN: 978-0-553-37131-4 (0-553-37131-2).
[4] 前掲注(1)28刷、(2012)
[5] Bantam Trade Paperback ed, February 1993 (1991,1993), “Author’s Note to the Paperback Edition” at ix dated June,1992. See http://www.randomhouse.com/book/182088/getting-past-no-by-william-ury/9780553371314/ (last visited May 14, 2013).
[6] “Author’s Note, Fifteen Years Later” at ix-xii, 前掲注(5)

2013年5月13日月曜日

私立探偵っておかしくない?


研究会の内容と関係ないことでへーそうなんだと思ったこと。私立探偵。公立の探偵っている?原語はprivate detective。私立刑事なのだ。米国では州から逮捕権を与えられたprivate police私立警官もいる。反対に、18世紀のロンドンには組織化された警察はなかった。
https://twitter.com/nomurakn/status/63857963156246528


「いつも当然と思っているものがよく考えるとおかしいことがある」という趣旨で2年前にツイートしたのだが、どこの研究会で気がついたのか忘れてしまった。この日の午後は第15回リーダーシップ教育研究会に参加したことになっているのだが。ちなみに「探偵」というのは法律用語になっている[1]

18世紀のロンドンには組織化された警察はなかったという話は、P. S. Atiyah, The Rise and Fall of Freedom of Contract,(Oxford,1979)で読んだ[2]。大学院のスクーリングである。そこで、私立警官かガードマン(法律用語は、警備業者・警備員[3])が警察機能を担ったと知って、警察というのはお上のものという意識は絶対的なものではないことに気がついたのであった。


[1] 探偵業の業務の適正化に関する法律(平成十八年六月八日法律第六十号)。
[2] 要約は、次を参照。矢崎 光圀  監修「イギリス契約法史の一潮流--アティアの近著に依拠して-3-」阪大法学127237238頁参照。ネットでは引用しかみられないのが残念。http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I2549296-00?ar=4e1f
[3] 警備業法(昭和四十七年七月五日法律第百十七号)。

2013年4月29日月曜日

プラトンの英訳の限界


演奏家でもあるハイフェッツは、しばしばリーダーシップで音楽の比喩を用いる。演奏家と聴衆との関係について、プラトンのつぎの引用がある。「相反する受け止め方があるから、熟考が呼び起こされるのである」。ところが、ほかのギリシャ語からの英訳ではニュアンスが異なる。続きはブログで。

件の引用は、演奏会では聴衆は受身だと思いがちだが実はそうではないという文脈で使われている。演奏家とのつながりが演奏を創る、人はあるものの他のものとの関係から創造するからだという[1]

ハイフェッツが引用したCornford訳(引用部分に下線を付する)はつぎのようである。

“Well then, that is the distinction I was trying to express just now, when I defined as provocative of thought impression of sense in which opposites are combined; whereas, if there is no contradictory impression, there is nothing to awaken reflection.[2]

ネットで見られるBenjamin Jowett訳は次の通り(下線が該当部分)。日本語で表現すれば、「同じ事象の中に対立する印象が混在しているような場合に、思考は喚起される」となるかな。

 “This was what I meant when I spoke of impressions which invited the intellect, or the reverse --those which are simultaneous with opposite impressions, invite thought; those which are not simultaneous do not.[3]
 
ハッチソン社のプラトン全集の英訳もJowett訳に近い。下線部を日本語に翻訳すると次のような感じか。「1つの意味とそれと相反する別の意味が想起されるような事象が、思考を喚起するものである。相反する意味が想起できないような事象は、理解を覚醒させることはない。」
 
“This, then, is what I was trying to express before, when I said that some things summon thought, while others don’t. Those that strike the relevant sense at the same time as their opposites I call summoners, those that don’t do this do not awaken understanding[4]

以上は、翻訳によって読者に与える印象がまったく異なる例である。誤訳のほうが読者に強い印象を与えることもあるかもしれない。昔の教養人ならギリシャ語で読めたかもしれないが[5]。ここでは英語から日本語への訳も介在しているから、プラトンが本当に何を考えていたかはよくわからない[6]


[1] Ronald A. Heifetz, Leadership Without Easy Answers, 6 (Belknap Press of Harvard U. Press, 1996) at p.6 and note 7 at p.279. ロナルド・A・ハイフェッツ/幸田シャーミン訳『リーダーシップとは何か!』(産能大学出版部1996年)。
[2] The Republic of Plato,Translated with Introduction and Notes by Francis Macdonald Cornford [Book XII 524 d.] p.240 (Oxford: OUP, 1941).
[3] The Republic by Plato, Translated by Benjamin Jowett, BOOK VII Socrates – GLAUCON, http://classics.mit.edu/Plato/republic.mb.txt.
[4] The Republic Book XII 524 d.,Translated by G. M. A. Grube, revised by C. D. C. Reev,In Complete Works, Plato ,Edited by John M. Cooper, Associate Editor D. S. Hutchinson, 1997 - 1,838 pp.
[5] ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806 - 1873)は少年時代にギリシャ語でプラトンの国家を読んだ(教育パパのジェームズ・ミルにラテン語やギリシャ語の古典を読まされた)という。Autobiography of John Stuart Mill : Published from the Original Manuscript in the Columbia University Library, (1924) p.15.ネットでも読める。http://www.gutenberg.org/cache/epub/10378/pg10378.html
[6] 古典の翻訳は本当に難しいが、聖典の翻訳はさらに困難である。弘法大師空海が「真言は不思議、・・・一字に千里が含まれる・・・」(眞言不思議 觀誦無明除 一字含千理 即身證法如)と解釈したのも無理はない。般若心經祕鍵(No.2203-A)SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2012版、http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-bdk-sat2.php. 聖書の翻訳について、「根拠を示して発言するということ」を参照。http://nomurakn.blogspot.jp/2011/05/blog-post.html