2019年5月2日木曜日

裏切らないのが協調の基本




西川善文さんが「時に短気で苛烈な上司」と評されながら、みんながついて行かざるをえなかったのは、「裏切らない」という信頼があったからではないか。囚人のジレンマでわかるように、協調ゲームの基本は裏切らないことだ。奥正之(22)ラストバンカー:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXKZO44037510S9A420C1BC8000/ 

囚人のジレンマ(英: prisoners' dilemma)とは、ゲーム理論におけるゲームの1つ。2人のプレーヤーがお互い協力する方が協力しないよりもお互いに利益になることが分かっていても、もし自分だけが裏切れば自分だけが最大の利益を得る状況では、2人とも協力しないで裏切ってしまう、というジレンマである。
このゲームでは、重大な犯罪に関与した容疑で2人の被疑者が共犯者として検察官から司法取引[1]を持ちかけられていると仮定する。2人(被疑者ABとする)はこう告げられる。


「おまえたちの選択は、黙秘するか罪を自白するかである。もし二人とも黙秘すれば、ともに一年の懲役刑となる。二人がともに自白すれば、二人とも二〇年の懲役刑である。一方だけが自白した場合、自白したほうは釈放、自白しなかったほうは終身刑となる。」
2人は別々の取調室に隔離されていてお互いに相談することはできない。

このような状況でふたりがとりうる行動(戦略)の組み合わせが、後掲表1である。
一方が他方を信頼していれば、お互いに協力し合って黙秘し、2人にとって最も有利な1年の懲役刑を選択することになるだろう。しかし、相手が自分を裏切ると思ったら、自分が黙秘して自分だけ終身刑を食らうよりも、自分も裏切って自白して2人とも20年の懲役刑を選択する方がましだ。裏切られる可能性があるときには協調すると損をしてしまうと考えるのである。
 囚人のジレンマのゲームで「私心を捨てる」[2]という行為基準を遵守する人は、自分の利益より相手の利益を優先するから、自分が裏切って釈放されるより、自分が黙秘して終身刑を食らうことを選択するだろう。裏切らないという行為基準は、自分が裏切られたり損をしたりするリスクを引き受けることである。不利益や損害を引き受けるということは、責任をとることを意味する。








[1] このゲームは米国の司法取引制度を前提に考えられたものであるが、2018年からは日本でも司法取引が始まった。日本の司法取引とは、被疑者や被告人が、共犯者についての情報を提供することを条件に 、検察官に自らの犯罪を不起訴または求刑を軽くしてもらうことなどを合意することとされる(刑事訴訟法第350条の2)
[2] 「リーダーはなぜ私心を捨てよといわれるのか」(http://nomurakn.blogspot.com/2019/05/blog-post.html)参照。


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